Glass Talk 01

knulpAA gallery 町田顕彦さん

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Glass Talk 01

町田顕彦さん
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つながり

陶器、ガラス、木工などの作品を扱うknulpAA gallery 町田顕彦さんが益子のstarnetさんを訪れた際、展示されていた作品「削紋|SAKUMON」を見て ガラス作家 貴島雄太朗を知ったのが2010年。以来のお付き合いだそうです。

町田顕彦さん、少し笑み

町田顕彦|MACHIDA Akihiko

knulpAA gallery
1973年東京都練馬区生まれ。大学卒業後、輸入貿易会社に勤めながら自身で起業を考えていた頃に陶芸が盛んな栃木県益子町に縁ができる。
日本の伝統工芸に興味を持ち、2003年石神井町に「日本の良いモノ集めました」というコンセプトで日本の現代的なライフスタイルに合う工芸プロダクトを販売するknulpAAをオープン。2013年移転時に個人作家の手仕事の作品を紹介するギャラリーに集約。企画展を中心に、陶器のうつわをはじめ、ガラス、木工作品などを扱う。

貴島雄太朗|KIJIMA Yutaro

ガラス作家|Glass Artist

1964年東京都生まれ。明治大学商学部卒業後、損害保険会社勤務のかたわら1992年吹きガラスを始める。

貴島雄太朗、笑み
1994年Pilchuck Glass School参加、1995年Lino Tagliapietra氏及びRudy Gritch氏によりbest studentにノミネート。
1996年東京都練馬区大泉学園町の閑静な住宅街にある自宅敷地内に吹きガラス工房「青樹舎硝子工房」を開設。現在、同ガラス工房主宰、吹きガラス教室講師。 ガラス作家 として代表作「削紋」を始めとする自身の作品制作を行う他、工業用ガラス製品、商業ディスプレイデザインなど企業からの依頼制作を担う。

編集・写真 竹花|TAKEHANA
ディレクション 千葉 泉|CHIBA Izumi

ガラスを始めたきっかけ

町田

貴島さんがガラスをはじめられたきっかけって何だったんですか?

貴島

亡くなった父の勧めだったんです。自分で言うのもなんですが、私真面目な会社員だったんです。父親は音楽の人で自由な発想の人でした。「趣味くらい持たないと駄目だよ。ガラスでもやったら?」って言われたんですよ…。
「はい!?」って感じだったんです。

町田


お父様、ガラスがお好きだったんですか?

貴島

音楽の他、美術にも詳しい人だったんです。
大学の先生、作曲の先生だったんですがいろいろよく知ってて、若い教え子たちを沢山見てたと思うんです。それでたまには親の言うこと聞こうと思って、通い始めて…。
合ってたと思うんです。仲間もできたりとかね。それでいろいろこう、広げたり深まったりっていうのをずうっと。

町田

貴島さん、始められる前にどこかでガラスと出会ってたりしていたのですか?

貴島

全然ですよ。まあ美術館行ったりはしました。当時、バブル後期は美術分野にみんな興味あって、作品を漁るように求めていた時代でした。国内も海外もね。眼に触れる機会多かったと思います。150年前のアールヌーボー(※19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動)の再現のようにガラスを美術品としてつくるという運動がはじまって、日本でもガラス作品に人気が出始めたのです。特殊な技法を使ったような作品もあって、そういうものを見てました。

僕の通ったところは専門学校の日曜クラスみたいなところだったんですけど、美術大学なんかでもぽちぽち教え始めて、コースなんかもできてて。クラフト分野の中でのガラス教育というのがなんとなく増えて、分母が広がる、下地ができるみたいな感じがあったんですよね。

ガラス技術の歴史

町田

ガラスの技術を日本に持ち込んだのはどういう人たちなんですか?

貴島

最初は明治時代に工業として入ってきてるんです。個人で、となるとアメリカ経由なんです。70年代にヒッピーの人たちが西海岸でガラスを溶かすことを始めたんです。自分たちでもできないかみたいな感じで。レンガ組んでちょっと火を付けて、溶けたぞ。コップ作ってみよう。サイケなもの作ってたりして…。
何やってもいい訳なんです。すごく自由で組織だったものもなくて。
薫陶をうけた人たちが日本に入ってきてぽちぽちはじめたんです。

アメリカの人たちが大学でそういうことをはじめると、デザイナーとしての勉強の位置づけでイタリアに入るんです。ベネチアとかに。そこで仕入れてきた技術を作品に展開してやり始めたんです。
ただガラスをつくるんじゃなくて、色と形の扱いの自由さ、イタリアはやっぱりすごいんですよ。1000年の歴史もあるし。みんな飛びつく訳です。向こうの人達は古来から技術を外に出さないことを前提にやってきてるのでせめぎ合いもあったりして…。

考えの進んだ人たちがポンと外に出て教え始めた訳です。
そんな人たちがアイコンというかカリスマになって…。
絶大な技術力、経験で指導するから、もう追随を許さないんですよ。すごいの。で、みんなそういうところに神様にすがるように教えを乞いに行く訳です。
その辺からの技術の広がり、大きかったと思います。

町田

日本人も行ってるんですか?

貴島

行ってます。
日本は日本でガラス工場はあったから百数十年の歴史はあって、独特の感覚はあるのです。材料を大切にするような感覚だとか、日本人独特のシンプルさみたいな…。
職人さんはそういうのを考えるまでもなく大事にしてるんですよね。

町田

日本の職人さん、工場では最初、何をつくっていたんですか?

貴島

最初は留学で、明治時代にイギリスとかドイツ行って、ヨーロッパ系のガラスづくりが始まっていました。大正時代に入ってくると文化的にも独特な部分がでてくるじゃないですか。大正ロマンとか。デザインの中に入れられて独特なものができてきたりしましたよね。

町田

照明器具とか?

貴島

うつわもあると思います。セミ・アンティーク、今でもファンの人多いんじゃないかな。オパール・ガラス使ったり、ウラン系のガラス使ったりして、ちょっと不思議な感じのものをつくったりとか。

町田

個人の作家さんも増えてきたり?

貴島

その後ですね。第1世代の人たち、僕らより10か20か上くらいの人たちの名前が出はじめた頃だったと思います。だんだん認知されてきて、作家さんと言われる人たちがぽろぽろ出はじめた頃だったと思います。

吹きガラスは2000年くらい前にはじまった

町田

遡って吹きガラスのはじまりについて教えていただけますか?

貴島

ガラス自体は大昔からあったんです。5000年前のエジプトのお墓からもでてくるんですけど、それは宝石を錬金術的に作りたいとか、小さな装飾品をつくりたいということでガラスが用いられていたんです。その場でガラス素材を溶かし合わせてアクセサリーをつくるような感じでしょうか。

その後、2000年くらい前にガラスの粘り気利用して膨らますことをはじめたらしいんです。そこから吹きガラスがはじまった。古代ローマ時代、イタリア、ローマ、中東ではじまって、それが広がってるんです。

材料、歴史の本には…。
船人が夜、砂浜で焚き火をしたんですって。焚き火をして一晩寝て起きたら、焚き火の灰をさらったあとにキラキラ光るものをみた。それがガラスだったという…。
砂浜の砂というのは酸化ケイ素なんです。珪砂(けいしゃ)といって酸化ケイ素。それに焚き火による灰、熱を加えて高温で溶かすと化合してガラスになるんです。

珪砂っていう砂と灰…。ソーダ灰を使うんですけど、あとは熱さえあればどこでも作れるんです。素材としてはすごく安くて手に入りやすいものなんです。熱源をどうするかが昔から大変だったと思います。昔は木炭とか使ってたらしいです。木を全部切り倒して山がなくなっちゃった。そんなこともあったようです。

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